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2017年4月20日 (木)

ROME 「ローマ」TVシリーズ

「ローマは一日にしてならず」や「全ての道はローマに通じる」などの言葉は知っていても、ローマ帝国の歴史そのものはあまり知らないという人は多いのではないでしょうか。ローマ帝国といえば、円形競技場(コロッセウム)で剣闘士の殺し合いを見世物にしたり、暴君ネロなどの皇帝による統治や、英雄カエサル(ジュリアス・シーザー)と絶世の美女クレオパトラの世紀の恋愛物語などが知られていると思います。しかしながら我々日本人にとってローマ帝国は、世界史の教科書の中にある数頁の出来事でしかないというのが実際のところかもしれません。

 

 そんな歴史をよく知らない日本人にとってもすんなりとローマ帝国時代の物語に入り込めるように上手に創られたTVドラマが「ROME ローマ」です。それどころか、ドラマを見進めてゆくうちに、紀元前50年頃のローマ帝国の歴史を理解できるようになってくるのがこのドラマのもうひとつの不思議な魅力でもあります。

 さて物語はカエサルのガリア遠征時代から始まります。この戦に筆頭百人隊長として従軍していたヴォレヌスと兵士のプッロを中心にしてローマ市民のドラマが始まり、同時にカエサルとその家族、そしてローマ帝国の元老院の権謀渦巻く政治権力のやり取りのドラマが始まります。

 ガリアで勝利を挙げたカエサルはローマ市民の英雄となり、元老院ではカエサルが独裁者となるのではと危惧を抱きます。そして、元老院筆頭のポンペイウスはカエサルの地位と権力を剥奪するように元老院の議会に謀ります。それに対抗するようにカエサルは元老院に大金をばら撒き、自分の部下のアントニウスを執政官に就任させます。やがてカエサルは13軍団を率いてローマに帰還し、ポンペイウスは貴族たちを連れてローマから逃げ出します。しかしながらポンペイウスはローマ周辺に大軍団を持っており、シーザーをローマ郊外から脅かす存在になります。さて、この権力闘争はどうなるのだろう…。ついつい次が見たくなるドラマ構成になっていて、視聴者を夢中にさせてくれるのです。

 一方ローマに帰還した兵士達の物語も同時に進んでゆきます。100人隊長のヴォレヌスは数年ぶりに帰った家で、妻から「あなたは死んだといわれた。」と告げられ、ヴォレヌスが知らない赤ん坊が家にいる。誰の赤ん坊かと聞くと、娘の子供だといわれるが、何か怪しげな雰囲気が漂っている。年頃のヴォレヌスの娘と恋人との子供だという。父親の許しが出ればすぐにでも結婚をしたという…。見ている視聴者はどうもあやしいなあなんて思ってみているけれども、ヴォレヌスはとりあえず納得してその場は丸く収まってしまう。そして、ヴォレヌスは13軍を退職して家で商売を始めるが、どうもあまりうまく行かない。兵士としては優秀な男であったが、商売はまるっきりで、やることなすこと失敗続き…。部下のプッロもヴォレヌスに続いて兵士を辞めるのだけれど、彼も兵士以外の商売には向いていそうも無い。

 ローマの兵士はリタイヤしたあとで幾ばくかの土地をもらえることになっているのだけれども、農業に不向きで不便な土地しかもらえない。だから、彼等は戦場で略奪した財宝や、敵市民を奴隷としてローマに連れて帰り、奴隷市場で金に換える。そんな努力をしなければ、何年にもわたる兵役の後の人生をやってゆけないのだということが、わかります。

 そして、そんなヴォレヌスとプッロの二人のローマ市民のドラマがここから始まります。元隊長のヴォレヌスは男気に溢れているけれども頭が固く不正は許せない。ちょっとでも間違ったことをすると家族でも許さない。そんな性格が災いして、家族とギクシャクするようになります。一方プッロは多少道をはずしてもまるで気にしないタイプの男です。しかし、ヴォレヌスには忠実で、彼の言うことには黙って従います。いかにも古代ローマの街角にいたような男達が家族や生活に苦しみ、ローマの政治に巻き込まれながら、生きてゆく姿を見ながら、視聴者は古代ローマへのタイムトリップを楽しむことが出来るのです。

次はどうなる、そしてその次は、どんどんとローマ時代の物語にのめり込んでゆくことの出来るTVシリーズでした。

 

 

 

2016年1月29日 (金)

数学的にありえない・・・アダム・ファウラー

週に何度か挨拶を交わすだけの知り合いがいる。彼は若く独身で、しかも腕に技術を持っているので、一生食べるのには困らないだろうなあ・・・と、はた目には思うのだが、意外なことに彼は宝くじファンなのである。安定した生活だけではない、何かを宝くじに求めているのかもしれない・・・、かどうかは、まあワカラナイけれどもね。

 ほぼ毎日近所の宝くじ売り場え出かけてはロト6やらナンバーズを購入している。そして、驚くなかれ、何度か100万円以上のあたりを出しているのだ。

 そりゃあ毎日買っていれば当たることもあるだろうさ・・・、と思うのだが、たいていの人はそんなに辛抱強くはできていないのだ。3000円で10枚の宝くじを購入して、当選日を待ち、「また外れちゃった・・へへへ」なんていうのを、年に一回か二回経験するだけだと思う。

 毎日買っている彼に、「今度こそ1億円が当たるといいね」なんて話しかけても、本人は「そう簡単に当たらないよ・・・」なんて笑いながら答えるのだ。

 そう・・・、当たるとか外れるとか、そんなことよりも宝くじを買うことが、彼の楽しみなのだ。

 アダム・ファウラーの「数学的にありえない」という小説を読みながら、僕はなんとなく宝くじを買っている彼のことを思い浮かべていた。

 この小説は難しい確率論をわかりやすく物語に盛り込んだ、ちょっと風変わりなアクション&サスペンス小説なのである。

 確率論は、突き詰めて言えば、コインを10回投げるとそのうち5回は表が、そして残りの5回が裏側になるという、極めて単純な理論なのだけれども、それじゃあコインを2回投げて表が2回続けて出る確率はどのくらいか、なんていう話になるとすぐに複雑怪奇になってしまうへんてこな理論なのである。

 2回コインを投げると、「表+表」、「表+裏」、「裏+表」、「裏+裏」の四パターンあるので、表が続いて出る確率は四分の一になる。・・・でも、例えば最初に表が出てしまったとする。そしてその次に表が出る確率は二分の一なのである。投げられるコインは、その前に裏が出ていようが表が出ていようが関係なく二分の一の確率でどちらかになる。

 もっと言うと、ロト6で「1・2・3・4・5・6」が前回出たとしよう。これから出るロト6の目のうちで「1・2・3・4・5・6」が出る確率は、そのほかの目の確立と一緒ということなのだ。全ての目が同じようにおよそ400万分の一になるということである。だから、前回「1・2・3・4・5・6」がでたから、その数字を外して買った方が確率が高くなると考えていると、大きな間違いになる。こんな話を始めると、どんどん複雑怪奇に確率論はなってゆくのである。・・・コワー。

 とにかく、個の物語の主人公は、数学者なのである。そしてある特殊なクスリの実験に協力をしたところ、これから起こることの結果を瞬間的に何万種類も頭の中で計算できるようになってしまう。そうなるとどうなるかというと、結果の予想をあらかじめして、一番自分に都合の良い結果になるような行動を選択することができるということになる。

 そして、そうなるとどんな事件や物語が沸き起こるのだろう・・・。どこにもないユニークな物語が動き出し、僕たちをドキドキさせてくれる。そんな小説です。

2015年12月 7日 (月)

解錠師 スティーヴ・ハミルトン

『 二月の最初の日、黄色のポケットベルがまた鳴った。無視しようかと思った。結局はマリーナの近くの公衆電話へ行き、その番号をダイヤルした。二回の呼び出し音のあと、声が聞こえた。「マイクルか?」僕の名前を知っている。でも、僕が返事をできないことは知らないらしい。 』

 物語の一節を抜き出してみる。すると、この物語のバックボーンが見えてくるように思います。主人公は口がきけない。そして、何者かにポケベルで指示を受けると仕事に取り掛かるのです。

 マイクルの仕事はドアや金庫のカギを破る、解錠師である。現在の彼は刑務所にいて、この物語を書いている。

 物語は主人公マイクルの現在から過去へ、そして現在に近い過去へと時間的に3か所を移動しながら進んでゆきます。 

 読者としては、まず何をおいても金庫破りってどんな風に鍵を開けるの?ってことに興味がゆくと思います。

 昔のTVのスパイシリーズように、医者の使う聴診器を金庫に当ててダイヤルをひねると、ガシャンと音がして扉が開いたりするのか。または、映画「パニックルーム」の中で悪党がやっていたように、金庫のダイヤルを外してドリルで穴をあけて中身を顕微鏡で見ながらダイヤルを合わせるのか・・・、色んなことが頭に浮かんできます。

 作者のスティーヴ・ハミルトン自身が、実は本物の金庫破りにインタビューをして、実際の仕事に近い表現をしていると書いているので、読んでいるこちらとしてはアドレナリンたっぷりに読書をすることができます。

 物語も、マイクル自身のつらい生い立ちや、どうやって金庫のカギを開けられるようになったのか、そして何故刑務所に入れられてしまったのかなど、興味津々のドラマがジェットコースターのように語られてゆきます。

 最後に落ちるところがマイクルの恋の行方だったりするところがまた、ただの泥棒小説で終わらずに、読者をうならせるところであろう・・・なんて思いました。

2015年12月 2日 (水)

はじめまして・・・

 一時期停滞していた邦画もここ10年くらい勢いがついてきたようです。随分と昔盛況だった映画館がTVの台頭とともに客足が落ちてしまい、随分と閉館されてしまいました。

 何十年もたった今、それがこの10年くらいで、TVをあまり見ない人たちが増え、DVDやユーチューブなどをもっぱら楽しむライフスタイルに代わってきているようです。そして動画サイトやソーシャルネットワークの影響でホントに面白い邦画が話題になって、皆で見に行くようになってきてるんじゃないかなあ・・・。メディアは時代とともに移り変わるもののようです・・・。

 だからって今更ブログなんて、なんて言わないで・・・。誰にも読まれないようにこっそりと映画や本の感想を書こうと思ったとき、フェイスブックよりもブログを選んでいる僕でした・・・。いいんだよ、好きにやりたいんだから・・・。

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